気まぐれ日記 2017年6月

2017年5月はここ

6月1日(木)「締め切りをクリアした翌日も超多忙・・・の風さん」
 のんびり寝ているわけにはいかない。今日は講義の日だ。
 月曜日にだいたい準備ができていたが、終わってはいなかった。約2時間かけたのだが、思わぬ発見があった。実は、経済的発注量EOQの発見者ハリスの肖像を、数年前から追っていて、なかなか見つからなかった。ここ数日執筆で頑張ったご褒美か、こんな直前の準備の中で、見つけてしまったのだ。ハリスに関する論文が検索でヒットした。それは販売目的のページだったが、目次と掲載写真のサムネイルがあった。目次の中に、カリフォルニアでのハリス一家というのがあって、3枚のサムネイル写真は間違いなくその家族写真だったのだ。幸運にもキャプション入りの拡大写真が手に入った。夫人や子息、令嬢との写真だということまで判明した。しかも名前入りで。
 短編小説を書いているときも、調査の過程で、思ってもみなかった発見があった。
 先月の江川邸の算額見学会以来、こういった発見の連鎖が続いている。実に楽しい。
 急いでインスタントラーメンを作って食べて出発しようとしたら、ペコが玄関で吐いていたので、その始末で出発がやや遅れた。
 名鉄電車に乗っていて、危険信号で急停車という経験をした。何があったのか不明。
 本山に着いてすぐUFJのATMで現金を引き出し、交差点の横断歩道を渡ってJPへ。
 ATMで送金しようとしたら、払い込み用紙が中で引っかかって、係員が飛んで来る騒ぎに。係員がATMを捜査して用紙を出し、しわを伸ばして再度挿入して、送金処理が終わった。
 キャンパスではコーヒーを飲む余裕もなく、バタバタと配布資料のコピー(計100枚)をして、講義室へ向かった。
 今回は動画再生もうまく行き、元会社員らしい講義もすることができた。
 終了後、速攻で地下鉄へ。うまく講義終了9分後の地下鉄に乗れた……が、乗り継ぎ駅で、いつもの電車にしか乗れなかった。
 結局、帰宅は午後6時過ぎで、それからすぐ家内と、ペコを動物病院へ連れて行った。
 病院は大混雑だった。主治医も急用か何かでお休みしてしまったため、さらに大変になっていた。
 日曜日に続いて、今日も1時間以上待たされて、やっと別の医師の診察を受けたが、ペコも疲れたようだった。途中でくもん出版の編集者から電話があった。
 帰宅して、また遅い夕食になった。
 私もペコと同様にすっかり疲れてしまい、リビングでダウン。
 目が覚めたら午前2時だった。それからお気に入りのバスタブへ飛んで行ったのだが、なぜか風呂は沸いていなかった(ダウンする前に、確かにワイフがスイッチを入れたのを覚えているのだが)。冷めちゃったのかな。まさか、こんな季節に。

6月2日(金)「初めて風呂掃除・・・の風さん」
 やっとピークを乗り切った気がした。本当は犠牲にした仕事がいくつかある。だから、正確には乗り切ったとは言えない。とにかくやるっきゃない状態は続いている。
 朝食後、初めて、リフォームした浴室の掃除をした(大学生時代は風呂掃除は私の自主業務だった)。掃除のしやすさもリフォームのポイントの一つにしたので、それを確かめる機会でもある。
 まずまず、思った通りに掃除は終わった。昨夜ワイフから注文がついた分だけ、作業は大変だった。バスタブ側面のパネルの分解清掃である。確かに、ここも開いて洗い、空気を通しておいた方がいい。それにしても今日は風が強い。雨上がりということもあるのだろう(昨夜雷雨だった)。
 昼食後、キャメロンで出動。ドラッグストアに行き、UFJのATMに寄り、筋トレに行った。
 超多忙な先月の犠牲の一つは筋トレだった(読書も)。体力が落ちて、体重が増していたのは自然の法則通りだろう。挽回しなければならない。
 風が相変わらず強いので、草刈りは中止した。刈った草がどこへ飛んで行くか分からないからだ。
 夕方、再びキャメロンで出動。さっきとは別のドラッグストアに行って大量コピー(約90枚)。ここのコピーが安いとワイフから聞いたので、確認の意味もあった。品質は問題なし。
 遅い夕食(昨夜に続いて午後9時ころ)まであれこれと雑務を処理したが、さすがに疲れてきた。
 書斎から階下に降りて来て、再び階段を上ろうとしたら、廊下をゴキが疾走していた。が、それほどの速度ではない。急いでゴキジェットを取ってきたら、もう姿が見えない。怪しいのは途中の閉まっているドアだった。潜んでいると思われる下のすき間を狙って噴射したら、リビングの方からゴキが出て来たという報告。慌てて飛んで行くと、もうリビングの中央に進出していた。
 早めに入浴し、バスタブに身を浸してみると、きれいになったバスタブがキュッキュッと鳴った。

6月3日(土)「気になっていた郵送・・・の風さん」
 今日もがんばるぞ、と起床したが、早くも疲労感。昨日は頑張り過ぎたか。
 昼まで、ストレスのかからない仕事を選んでやった。メールでの重要連絡など。それでも全然効率が上がらない。
 昼食後、諦めて昼寝⇒爆睡(笑)。
 その間に、会社の大先輩から贈り物が届いていた。感謝と恐縮。
 夕食までの時間で、大先輩へのお礼状をしたためた。
 夕食後、気になっていたことにようやく取り組むことにした。『ひらけ蘭学のとびら』の諸機関への贈呈である。宛先は、ぼやかして書いておこう。@小浜市にある病院、A小浜市にある博物館 これら2ヶ所はもちろん杉田玄白との関係が深いからだ。B角館の青柳家(小田野直武と縁戚)、C某医学史研究会。それぞれ簡単な手紙を書いて、名刺と一緒に入れたのだが、郵送の形態はまちまちになった。使った切手はほとんど記念切手。反応があると嬉しいが、これまでの経験から、打率はそれほど高くない。だから、期待は半分程度にしておく。
 明日も寝坊はできないので、さっさと浴室へ。ジャズを聴きながらバスタブで体を伸ばすのは極楽気分だ。

6月4日(日)「悪寒戦慄にも負けず・・・の風さん」
 明け方、悪寒戦慄で目が覚めた。本当に体温が低いのか、確かめる絶好の機会がきた。病院用の体温計はベッドサイドにある。念のため、時間をおいて数回測定してみた。
 先ず、最初は36.1度だった。2回目も。3回目は悪寒戦慄が去った後で、36.2度だった。かつて恐れていたような低さではないが、私の場合、これくらいになると悪寒戦慄が起きやすいのかもしれない。
 真の原因は加齢(動脈硬化など)か自律神経失調かストレスかは分からない。しかし、やがていつか父のように、寒い朝に心不全で死ぬ可能性がありそうだ。
 いつも通りの時刻に起床し、キャメロンで外出した。今朝の悪寒戦慄が嘘のように空が青く晴れ渡っている。
 大量に郵便物を投函し、地元にあるまちの駅「食と健康の館」へ向かった。青空なので、海が青いこと。実に気分が良い。ワイフのトールの体験教室に知人が来るので、始まる前に挨拶するのが目的だった。
 目的を終えてすぐまたキャメロンのハンドルを握った。
 図書館で相互貸借本を返却し、そのまま体育館のトレーニングルームへ。朝早くからたくさん来ていた。疲労気味かと思ったら、エアロバイクで良い数値が出た。
 帰宅すると、秋田の同級生からLINEのメールが入った。読売新聞の和算紹介記事の中に鳴海風の名前があったよ、という報告だった。電話取材に応じて、名前は出さなくていいから、と言ったのだが、実際は利用してくれたということらしい。専門家じゃないのだけどね。
 やっと裏の土地の草刈りができた。充電がなくなるまでやったのだが、3分の1くらいできて気持ちよかった。日が照っていたが、風があまりなかったので、思い切ってやったのだ。
 草刈りが終わってまもなくAmazonに発注した品物が届いた。タワーファンで、洗面所にぴったりのデザインを選んだのだが、まずまずだった。

6月5日(月)「ステーキの夜・・・の風さん」
 常滑イオンに買い物に行った。目的は明確だったので、寄り道せず、最短時間で帰宅した。
 明日の午後、次の本に関して出版社で打ち合わせがあるので、以前送ってあった小説のあらすじの改訂版を送ることにしている。それを何が何でも書き上げて送らねばならない。
 昼食後、リフォーム会社がやって来た。まだ残務があるのだ。1時間ほど楽しく打ち合わせして帰ったが、まだ伝えることを忘れていたのに後で気が付いた。やれやれ。なかなか終わらない。
 あらすじの改訂版に着手するのに、疲れ過ぎている。しばし昼寝……と思いつつ、1時間以上寝てしまった。起き出して、慌てて取り掛かった。
 今夜は会社の大先輩から送ってもらった課題図書のお祝いのステーキをいただく日にしていた。ま、午後9時スタートかな、とたかをくくっていたのだが、8時半にインターフォンで呼び出しコールがあった。あらすじの改訂版はまだできていない。
 3年前に会社をやめたとき、長女から記念にもらっていたワインがあった。シャブリの白で、ようやく開けるときがきた。午前中、イオンに買い物に行ったのは、今夜の食事のためのパンやスープで、これらは値段は安いが、ステーキに合いそうなものを選んであった。
 ぜいたくな食事をしながら、大先輩だけでなく、あらゆる人たちへの感謝の言葉を夫婦で連発した。本当に私たちにはもったいない幸運だ。
 結局、デザートまでたどり着くことができないまま、リビングでぶっ倒れた。
 しかし、まもなく目が覚めた。私にはやることがあった。
 ステーキパワーだったろう。
 それから書斎へ行って、午前2時にあらすじの改訂版を送ることができた。

6月6日(火)「健診・草刈り・カード作り・・・の風さん」
 町の保健センターで国保の集団健診を初めて受けた。
 現役時代の定期健診が最も充実していた。退社後2年間の健診は、同じ健保組合に入れてもらえたが、健診のレベルは低下した。昨年は、初めて人間ドックを受け、現役時代を超える充実した健診だったが、今年の落差は大きかった(笑)。しかし、年内にオプションの健診を受けるので、それでかなり補えるが、来年からはまた人間ドックがいいな。
 昼食後、まずまずの天気だったので、草刈りに出動した。バッテリが切れるまでやったが、まだ優に3分の1は残っている。少しずつ楽しんでやればいいのだが、障害が多くてなかなかできない。
 辻先生から徳間文庫の新刊が届いた。『義経号、北溟(ほくめい)を疾(はし)る』である。なかなか分厚い文庫だった。博識というだけでは説明しきれない、辻先生のオリジナリティが、このような大作を、今でも世に問うことができるのだ。敬服。
 11日(日)のギャラリーオキュルスでのイベントのための、記念のオリジナルカードを作成した。トークの中でも触れる予定のコンテンツを使ったデザインだ。どうも仕事を楽しみ過ぎるので、いつも忙しい。夕食後には、もうエネルギー切れになってしまった。

6月7日(水)「マイナンバーカードに立腹・・・の風さん」
 リハビリを予約していたが、8週間に1度の内科受診の日でもあった。早めに病院に行ったので、リハビリの前に内科受診を終えることができた。
 帰りにATMに寄り、役場でマイナンバーカードを受け取った。マイナンバーカードでは腹が立った。そもそも受け取り通知ハガキの到着がやたら遅く、しかも辞書みたいにびっしり印刷してあり、読む気にもならなかった。なので、住民課で、サインしろだの押印しろだの(ハンコは持参しなかったので犯罪者のように拇印)、免許証を見せろだのうるさかった。さらに極めつけは、カードには有効期限があるが、通知は来ないという。「年寄りには無理だね」とさすがの私も苦言。
 小雨が降って来た。
 超多忙だが、昼食後、意を決して hairdye 。
 もうタイムリミットなので、11日のトークのレジュメを作成した。

6月8日(木)「シーボルトの審美眼と日本愛・・・の風さん」
 毎年開催されていたセミナーが、応募者が少なすぎて中止になった。非常勤講義の日だったが、セミナー講師をつとめるため、田村先生に講義をお願いしていた。
 時間がとれたので、これもタイムリミットだったシーボルト展を見に行くことにした。
 シーボルト展は東京でも2か所でイベントがあり、どちらも見逃していたので、名古屋は絶対に見に行きたかった。
 早めに家を出て、名鉄友の会の会員継続手続きをしたのだが、なぜかすごく混んでいた。
 優待チケットを購入し、名古屋市博物館へ向かった。
 シーボルトは帰国してから3回、日本博覧会を現地で開催している。そのうちのミュンヘンでの開催を再現するというのが今回のコンセプトだった。
 シーボルトが関係していなくても、当時の日本の文化を知る、素晴らしい展示だった。つまり、当時の上質な品々が目白押しだった。ということは、品物を選定したシーボルトの審美眼がすぐれていたことと、何と言っても日本に憧れていた彼の日本への愛情を感じることができた。
 ミュージアムショップも充実していた。とりあえず図録だけゲットしたが、必要な参考書が見つかった。後日ネットで注文しよう。
 見学時間がもっと欲しかったが、ペコの状況が不安定で、病院へ連れて行く可能性もあったので、早めに帰宅しなければならなかった。
 ペコの病院は明日ということになり、11日のトークのスライド作成に取り掛かった。
 今夜はさらに、持参するプロジェクターの事前確認をしたのだが、画面が暗く、不安が残った。明日、製造元に問い合わせる必要があると思った。

6月9日(金)「出発前日?・・・の風さん」
 明日から出かけるのに、やることがてんこ盛りだ。
 3月末で決着しなかった総合病院へ出かけた。あの時、3か月後の経過診察を予約したのが今日だった。こんな多忙な3か月後を、どうして予想できただろうか。
 1時間かけて到着した。意外と空いていた。ロビーには、十日後の院内コンサートのPRが。すごい。諏訪内晶子のバイオリンだ。退院が望めないような患者にとって、思ってみなかった幸運だろう。とりあえず健康な私は、いつか本物のコンサートを聴きたいものだ。
 経過診察は良好で、総合病院の通院が卒業できた。
 病院内の売店で昼食を済ませ、帰りにGSで満タン給油しつつ、自動洗車もした。
 えびせんべいの里の工場へも行き、持参するお土産などを大量購入した。
 帰宅し、気になっていた裏の土地の草刈りをし、かいた汗を流すついでに、風呂掃除もした。風呂掃除は2回目で、前回よりも徹底した。
 夕方からは、ペコを病院へ連れて行き、いつもの点滴を打ってもらった。
 旅行で持参する品々はぼう大な量になった。マイカーでなければ、絶対に持って行けない量だ。
 実はワイフの駅への送り迎えもしていた。ひたむきな自分にエールを送りつつ、何とか旅行の準備ができた。

6月10日(土)「再びロングドライブ・・・の風さん」
 いつもより早く起きて出発すると、途中で眠くなる心配があるので、いつも通りに起きて、平然と準備して出発する計画だった。
 9時半に出発したが、その時点で、東名の三ケ日付近での事故ニュースは知っていた。豊田JCから新東名に入るので、影響は小さいと思うが、時刻と場所が重なれば、いつこんなことになるかわからない。昨日もワイフに、「万が一の時は、僕のオモチャのドライブレコーダーが記録しているはずだから、それを回収してメディアを確認すること」と伝えていた。
 事故現場は通行止めになっていたので、多くの車両が立ち往生していたと思う。新東名は迂回車で走行車両が多かった。
 定番になっている浜松SAで最初の休憩をとった。うなぎエクレアとコーヒーの写真を送付したのもいつも通り。無事な知らせである。
 今日は長丁場なので、のんびり走る。
 足柄SAが昼食ポイントになった。これまたいつものように、満腹にならないように、肉蕎麦のみ。土曜なので、家族連れが多く、世の中平和だなあ、と微笑ましく思う。
 今日の目的地は茨城県である。圏央道を通るコースを想定していたが、渋滞情報は、圏央道はあっても首都高はなかった。今日は久しぶりに首都高を走ることにした。
 港北パーキングでひと息入れ、笠間市の知人へ電話し、どうやら着けそうだと伝えた。
 久しぶりの首都高は渋滞ではなかったが、東京駅の近くを通るコースをナビが指示したので、その周辺はクルマが多く、自然渋滞となった。ここで、今日初めてエアコンを使った。涼しかったせいではない。眠気防止とキャメロンのパワーを楽しむために、あえて使用せず、窓を全開にして走って来たのだ。しかし、ノロノロ運転では、さすがに暑さを感じたので、エアコンにきりかえた。
 首都高を抜けるのに手間取り、常磐道に入って最初のSAに寄ったが、疲労が出て来た。ここで30分ほどウトウトしてから笠間市の知人へ電話した。あと1時間ほどで着けるらしい。
 笠間市に入るころ、小雨が降り出した。そうか、梅雨の時期なのだ。
 5時半に到着。ご挨拶だけと思って、ここは経由地にしてあったのだが、先方は、宿まで確保してくれて、今夜は一席設けてあるという。これらは想定外だったが、知人の好意を無駄にするのと、自分の犠牲(予約してあるホテルの当日キャンセル)を比べた場合、答えは明瞭だった。自分が犠牲になればいいのである。
 くもん出版の次の企画が小野友五郎に決まったことを、その夜、笠間神社の宮司と笠間市の教育長に報告し、喜ばれた。共通の話題があるということは、初対面でも一気に旧知の間柄に変貌させてしまうので面白い。今日は3回目の笠間市訪問だったが、また近いうちに来たくなった。
 知人が予約してくれたお洒落なホテルでリラックスできた。最終目的地まで行かなかったので、今日の走行距離は500キロに届かなかった。

6月11日(日)「サロントークにベストを尽くした・・・の風さん」
 ホテルの朝食が楽しかった。レストランの雰囲気が良く、窓の外が樹木で覆われていたからだ。
 8時にホテル前に知人が迎えに来てくれた。
 知人のBMWで笠間神社へ行き、参拝もそこそこに中に入り、宮司にまたお目にかかり、小野友五郎の本物の肖像画や天球儀、国宝級の彫刻を有する拝殿、10月の講演会場などを見せていただいた。宮司は超多忙にもかかわらず、特別のもてなしをしてくださり、恐縮してしまう。
 知人は効率よく歴史スポットを回ってくれた。佐白山の城跡、麓の下屋敷跡、時習館跡など。
 笠間焼の展示館にも案内してくれたが、開館前で、社長にご挨拶だけした。
 その後、知人の隠れ家、焼き物工房やゲストハウスなどを見せてもらった。驚きの連続だったが、ここでもお土産に知人が焼いた作品を頂戴した。それを焼いた窯は、東日本大震災で崩壊してしまい、まだ復元できていないのだという。
 笠間を愛する知人と11時前にお別れしたが、これからの執筆に決意を新たにした。
 来た時と逆コースで東京へ向かった。
 常磐道を走っているうちに急に疲労を感じ出した。老体にはハードな日々が続いていたからなあ。
 昨日も寄ったSAで1時間近く昼寝し、親子丼の昼食を摂ってから、またキャメロンのハンドルを握った。
 品川のギャラリーまで渋滞なく走ることができた。駐車場はあらかじめネットで調べてあった。休日は12時間1500円のコインパーキングに駐車した。午後2時ころだ。
 大量の荷物をギャラリーへ運び込んだ。ギャラリー内に展示するものと入場者に配るお土産の袋詰めは、くもん出版の若い二人に任せた。私は、プロジェクターやPC、Bluetooth スピーカーなどをセットした。どうにか自分で考えていたイベント会場ができた。部屋を暗くした効果で、プロジェクターの映像は明るく提供できた。
 サロントークは午後3時から、予定通り始めることができた。金田康正先生の奥様がわざわざ来てくださったし、『円周率の謎を追う』の装丁をしてくれた中島かほるさんの来場もありがたかった。
 休憩をはさんで午後5時までトークをしたが、徹底した準備のお蔭で、楽しく語ることができた。ベストを尽くすことができたので、来場者もある程度は満足できたのではないだろうか。
 これまた予定通り、近くのレストランで身内だけで2次会をした。私は笠間訪問報告をし、次の作品へ向けてチームの意気が高揚した。
 今夜は三鷹の定宿を予約しているので、キャメロンで向かったが、トンネルが延々と続く首都高で降りるインターが分からず、再び戻る羽目になった。
 ついでに、今日もキャメロンのエアコンは使わなかった。
 しかし、定宿はいい。勝手がわかっているので、安心だ。

6月12日(月)「3日間で1000キロ走破・・・の風さん」
 この定宿の朝食レストランはとても品数が多く、スペースもゆったりしているので、気に入っている。好きなものを選んで食べた後、マイペースで準備して、9時前にはチェックアウトできた。
 家路につくのだが、今日はナビの指示通りに走ろうと思った。いつも強引なルートを走ろうとして失敗しているからだ。
 意外と早く東名にのることができた。
 久しぶりの海老名SAで最初の休憩をとり、キャメロンに給油もした。一般道のGSで給油するつもりが、あまりにも早く東名にのってしまったのだ。
 新東名に入り、いつも混雑していて寄らない駿河湾SAに、これまた久しぶりに寄った。平日だが、けっこう客はいる。駿河湾を見渡せるテラスからの眺めはすばらしい。爽やかな風が吹いていて気持ちよかった。
 今日もエアコンを使わず、窓を全開にして走ったのだが、さすがに疲労が蓄積していたのだろう。走行中に睡魔が襲って来た。特にトンネル内を走っていると、どこかに吸い込まれていくようで、危険だった。次のPAにピットインし、仮眠した。
 昼食は肉うどんにして、軽く済ませ、浜松SAでコーヒータイムにした。ドッグランを走り回る犬たちを眺めながら飲むコーヒーは、もう何度も経験している「お疲れさん」の味だ。
 出かけているワイフより先に帰宅してしまうと、鍵を忘れた私は家に入れない。帰路は疲労もあったが、何度もピットインしながら、時間をかけて走った。
 それでも、帰宅したら、ワイフより先に到着してしまった。午後6時過ぎである。
 まもなくワイフのアクアが到着して、私は家に入れたが、3日間の走行距離はほぼ1000キロで、前回の900キロを超えた。いつもより多かったが、それでも睡眠時間をもっととるべきだったというのが今回の反省材料だ。

6月13日(火)「また目の前の仕事が・・・の風さん」
 旅行から無事帰宅したからと言って、ひと山越えたわけではない。半分は楽しみでおこなったことなので、仕事という見方からすれば、効率はきわめて悪く、疲労も残っている。
 というわけで、また目の前にやらねばならないことが迫っている。
 明後日は2週間ぶりの非常勤講義だが、準備はしていない。新鷹会の「大衆文芸」用のエッセイもまったく書いていない。
 エッセイはやめるわけにはいかなかった。なぜなら、江川邸の算額見学会をテーマにするからだ。公式の報告書などは研究者の先生方がしてくださる。しかし、作家としてのアウトプットは、やはり私の使命であり、今回良いタイミングで「大衆文芸」にエッセイを寄稿できる。
 随想はともかくエッセイであれば、ちょっとした論文の価値がある原稿が書ける。江川邸の算額に関しては、私としても5年以上追跡していた経緯があったのだ。純粋な数学の話はおいといて、歴史資料がつながっていく話として書ける。
 午後、地元のケーブルテレビの取材があるので、図書館へ出かけた。作品の内容を紹介してほしいと言われちゅうちょした。大人向けの話なら良いが、子どもも含めた万人向けでは、私には力不足である。しかし、後で考えてみたら、そんなに難しく考える必要はなかったような気がしたのだが、そのときは、大まじめで真剣に対応しようとするあまり、そんな反応をしてしまったのだ。
 結局、インタビューの録画はほんのわずかですませてもらい、担当者にたくさん解説しただけで終わってしまった。やはり反省。
 さらに反省すべきは、せっかくこのタイミングを狙って、地元の教育長や教育部長が来てくれたのに、まともにお話できなかったことだ。このお詫びは何かの形でやらねばならない。
 来月、本当に地元の中学生にトークをするので、現時点はおおまじめだが、少し肩から力を抜いて、楽しく交流することだけ考えた方がいいのかもしれない。
 夕方、ワイフとペコを病院へ連れて行った。最近、週に2回くらい病院へ行っている。思えば、昨年の8月に大腸がんが発見され、とても年内はもたないと思っていたのが、年を越し、ついに10か月になるのだ。幸い進行が遅いのだが、そうは言っても、やはり進行しているに違いない。症状が徐々に心配な状況になってきているのだ。
 何とか、就寝時刻までにエッセイ原稿の下書きができた。

6月14日(水)「またまたピンチに・・・の風さん」
 明日の非常勤講義の準備がだんだん待ったなしの時間になってきた。朝から突撃態勢に入っている(笑)。
 とは言え、今日はリハビリだ。この1週間筋トレをしていないので、リハビリだけが頼りになっている。やれやれ。
 終わってから帰りにホームセンターに寄って買い物をした。2週間ぶりかも。
 帰宅してから、インスタントラーメンで昼食。色々な種類を用意してあるので、飽きるということがない。と言うより、元々ラーメン好きか。
 書斎での作業中に消しゴムを使うことがあり、カスを卓上クリーナーで吸い取ろうとしたら、動作しない。分解してみたら、電池が液漏れ! 清掃して買ってきたばかりの電池を入れたが動作せず。内部に液が侵入して壊れたらしい。20年以上使っていたクリーナーを捨てることにして、新しいクリーナーをネットで探して発注した。
 江川邸の算額見学会の正式な報告書を作成中の先生から、2度目の原稿が届いた。これまで何度か情報を提供しているので、そろそろ原稿としてのコメントも出すことにした。
 その作業をしているうちに、新たな疑問が湧いてきた。作成中の自分のエッセイの疑問である。
 両方ともしっかりやるためには、これまでの情報を整理する必要性も感じた。
 夜になり、先生の報告書へのコメントを送信し終え、次に、自分のエッセイ原稿の正確さも増すことができた。それを新鷹会の窓口へ送信し、受領確認の返信ももらったところで、非常勤講義の準備が大ピンチになった。
 明日はレポートを採点して返却しなければならない。まだ採点をしていなかったのだ。
 20人も受講生がいるので、採点作業はハンパではない。
 終了して就寝できたのは、午前2時近かった。

6月15日(木)「講義は大変・・・の風さん」
 出かける前に、講義内容の復習にやっと取り掛かった。昨年の講義資料はあるのだが、ほとんど忘れているので、思い出しながら勉強するだけでいいのだが、これが面倒でなかなかできない。
 ほどほどのところで、出発することにした。今日は本山で用事もあるのだ。
 いつもより30分以上早い電車に乗ることができた。
 灯台下暗し。ネット検索で見つけた買おうと思った古本が、何と本山駅近くにあった。電話で取り置きをお願いしてあった。
 本山に着いていつもと違う出口へ向かい、周囲を探すと、あった! 目的の古本屋はキャンパスのすぐ近くだった。地下の店舗に入ると、とてもよく整理されていて、好感の持てる店内だった。
 吉村昭さんの本を購入すると、吉村さんの本をまとめて置いてある場所を教えてくれた。サービスではあるが、ビジネスの基本でもある。そこをチェックすると、欲しい本が何冊かあった。とりあえず1冊だけ追加購入することに決め、ついでに領収書も作ってもらった。
 続いて、ATMに寄って用事を済ませ、隣のコンビニに入った。家で昼食を摂る余裕がなかったので、おにぎりを買って食べた。
 キャンパスに入ると、田村先生から「返却してほしい」と連絡があった小テストの採点済み答案をどさっと渡された。
 自分の配布資料100枚のコピーも、いつものように大変だったが、私の採点済みレポートと田村先生の採点済み答案を、受講生別に仕分けした。
 これをコーヒーを飲みながらやったので、講義内容の再復習をしている時間はなくなった。
 講義の最初に「僕が出ている愛工大のホームページを見た人?」と聞いたが、一人もいなかった。この提案をしてくれた事務の女性には、拙著をプレゼントしたけれども、学生の反応は話さなかった。
 最後に10分近くかけて、答案とレポートの返却をした。時間がかかるのは、中国人の名前をちゃんと中国語で発音することに挑戦したからだ。
 終わってすぐ家路についた。
 講義は午後4時10分までで、家に着くのはだいたい6時10分ぐらいだから、片道2時間かけていることになる。講義の準備はそれ以上だから、合わせるとけっこうな時間になる。ポスドクの人がたくさん非常勤講義を抱え、低収入ながら超多忙なのがわかる気がする。
 ペコが不調だったら病院へ連れて行く計画だったが、安定しているので、明日にすることにした。
 夕食後は、メールチェックをするだけで疲労感がピークに達した。『数学文化』向け掌編小説の第2稿と挿入用資料の送付期限が迫っているが、明日に延期だ。

6月16日(金)「掌編小説の第2稿が完成・・・の風さん」
『数学文化』向け掌編小説は、遊歴算家山口和の奥州旅行をトレースしている。エピソードはほとんどフィクションである。しかし、歩いた経路は正確にトレースしているので、小説を掲載するときは、その歩いたコースを示している。パワーポイントを使って作成するのだが、けっこう時間がかかる。
 午前中、発注してあった卓上クリーナーが届いた。電池を入れて動かしてみると、評判通り、吸引力がかなりある。電池は半分になっているので、空気の流れの抵抗を小さくする上手な設計がされているのだろう。
 続けて、リフォーム会社の営業マンが、追加工事の打ち合わせでやって来た。
 楽しく雑談して帰って行った。私がお金を稼げている間は、少しずつマイホームをリニューアルできるので、頑張らねばならない。
 昼食後、小説の挿入資料の作成の続きに取り掛かった。
 夕方、ペコを病院へ連れて行った。主治医から患部が硬くなっていることを告げられた。ここで精密検査をしてから10か月である。病状は着実に悪化しているのだ。
 帰宅して遅い夕食後、掌編小説の原稿と資料の仕上げに取り掛かった。
 半徹夜になることなく、仕事は終了し、データをすべて送付することができた。

6月17日(土)「9月の講演の準備・・・の風さん」
 やっとたまっている雑務を処理できる。
 そう思ったが、疲労の蓄積が邪魔して、体が動かない。
 午前中、気まぐれ日記をまとめて書いたのが精一杯。昼食にラーメンを食べた後、寝室でダウンした。今日も、天気は好いのだが、実に爽やかな気候で、ぐっすり眠ってしまった。
 夕方目が覚めて、まだ体は目覚めていなかったが、ドラッグストアに行く用事があったので、キャメロンで出かけた。
 帰宅してしばらくすると、外出していたワイフも帰って来た。
 コーヒータイムにした後、9月に依頼されている講演のタイトルと、講師プロフィールの作成に取り掛かった。サンプルを送ってもらったので、似た書式で作成することができた。
 結局、疲労から立ち直れないまま1日が暮れていった。

6月18日(日)「児童書の執筆再開・・・の風さん」
 一転してどんよりした空模様に変わった。梅雨前線が北上したらしい。しかし、うっとうしい感じはない。
 今日から真剣に執筆〜と思い、午前と午後にやることを決めた。
 午前は、次の児童書の第2章である。材料は並べてあったので、それらを使ってどう料理するか。つまり、ドラマチックな展開の検討が最初にすることだ。
 あれこれ悩んでいるうちに、第1章の間違いに気が付いた。けっこう重要なポイントだったので、この間違いをどう処置するか随分と考えた。
 結局、この間違いの処置に午前中いっぱい使ってしまったのだが、同時に第2章のドラマチックな展開もアイデアが出て来た。
 簡単に昼食を摂ったあと、午後の予定を変更して、今日は第2章を書き上げてしまおうと思った。
 そう思うと、雑務も目の前に浮上してくる。午後一番にやったことは風呂掃除だった(笑)。
 夕食時間まで第2章の執筆に取り組んだ。しかし、思ったほど進まなかった。やはりクリエイティブな仕事というのは、計画的には進みにくいのだ。
 夕食後は、再び雑務。これを少しやっておかないと、またピンチになってしまう。

6月19日(月)「暗闇の中の墓参・・・の風さん」
 また新しい週が明けてしまった。
 朝食を終えてすぐカリチューへ向かった。アクアの車検を依頼するためだが、水曜日の夕方までに受け取るためには、今日の午前中に預けてしまう必要があった。
 10時過ぎに着いて、整備項目も伝えてすぐとんぼ返り。帰りに代車に少し給油もしておいた。場合によっては、この代車でペコを病院へ連れて行くことになるかもしれないからだ。
 帰宅したらやけに疲労を感じた。
 昼食を摂る気にもなれず、2階の寝室で横になったら、あまりにも気持ちよくてそのまま爆睡。
 元々知多半島の当地は名古屋よりも気候が良い。空は青く、空気は乾燥していて、気温も若干低めなのだ。
 目が覚めたら5時だった。
 どうしてもしたいことがあった。笠間の知人へ送る資料のコピー作成である。
 代車で出かけたのはいいが、あまり時間がなかった。作業は途中でやめて帰らねばならなかった。それにしても、ドラッグストアでコピーをとっていたのだが、蚊に食われた。殺虫剤も売っているドラッグストアだよ(笑)。
 7時過ぎにワイフのトール教室がやっと終わった。
 今日は月に1回の墓参の日でもあった。私は懐中電灯を2個用意して出かけることにした。
 墓地はすっかり暗くなっていた。代車のライトを点灯したままにして、2個の懐中電灯を持ち歩いて、お墓の掃除から供花の取り換えまでやった。
 墓石はなぜか鳥の糞が何か所も落ちていて、きれいにするのが大変だった。きっと、両親の霊が何かから私の家族(ペット含む)を守ってくれた証拠だろうと思った。
 帰宅してから遅い夕食になった。
 夕食後は、たまっている雑務を必死にこなした。

6月20日(火)「昼寝している余裕もなし・・・の風さん」
 朝から児童書の第2章の続き。
 時間が来たので、リハビリに出かけた。この1週間、筋トレができていないので、進歩は期待できない。しかし、毎週通院というリハビリも、いつかは終わるはず。そうなれば、どれだけ時間的に楽になるか。そう思えばやはり筋トレは大事なのだが。
 帰りにホームセンターで買い物をし、そこにあるATMで現金を引き出した。
 帰宅してすぐラーメンで昼食を摂ったあと、昨日のドラッグストアへコピーを取りに行った。蚊に食われないように、今日は長ズボンだ(笑)。
 JPとショップに寄って帰宅し、コピーの整理をした。
 続けて、また第2章の続き。イメージはできているのだが、執筆が遅い。丁寧に書き過ぎか。
 ペコの調子が悪かったら、ワイフがいなくても一人で病院へ連れて行くつもりだった。何とか、安定していたので、それは中止して、 hairdye を実施。
 夕食後、雑務の時間になったので、今年の全国和算研究大会の参加申し込みを電子メールでした。
 非常勤の準備も少しだけでも、と思って、ネットからERP関連の動画をいくつかダウンロードしておいた。2つ講義で学生に見せる。
 夕方から気温が下がり、明日以降の大荒れの天気の予兆が感じられた。

6月21日(水)「相変わらず多忙・・・の風さん」
 今日は夏至だそうだ。日が長いのが好きなので、サマータイムも導入してほしいと思っている。どこかの学会などが反対しているために、できないでいる。省エネにもなるのに。
 しかし今日は朝から風雨が強い。
 ワイフを駅まで送った帰りにJP分局で昨日で取りおわったコピーを知人へ郵送するため投函した。
 朝食後すぐ代車で出発。雨の中、80年以来利用している床屋へ。いっそ全かつらにしてしまえば、すごく楽になりそうだ、といつものジョークを飛ばして、夏型にカットしてもらった。
 コンビニでパンを買って食べ、電話で車検代を確認してからATMで現金をおろしてカリチューへ。5年目のアクアは特に大きな問題もなかった。次の車検のタイミングで新車に替えたいものだ。
 まっすぐ帰宅。疲れて少し昼寝。
 夕方ワイフが帰ってきたので、ペコを犬猫病院へ連れて行った。また体重が少し減っていた。このまま衰弱死するのではないかと心配だ。主治医はもう打つ手はほとんどないという。
 雨はほとんど上がった。
 アクアが急にガス欠寸前になったので、GSで少し給油して帰宅した。
 疲れていたが、夕食後、必死に講義の準備。

6月22日(木)「技巧派作家の作品を読了・・・の風さん」
 また今週も講義のある日の午前に最後の準備。ギリギリ過ぎる〜。
 昼食を食べて出かける余裕がなくなったので、さっさと出発。
 自宅を出るときポストを見たら、小浜市にある若狭歴史博物館からハガキが届いていた。『ひらけ蘭学のとびら』を献本したのだが、好意的な文章だったのでうれしかった。
 1本早い地下鉄で本山着いた。とりあえずコンビニでおにぎりを買って昼食。昨日と似ている。
 ちゃんと準備しておいたので、講義はまずまずできた。
 事務の女性と『ひらけ蘭学のとびら』について雑談した。若狭歴博のハガキの話もした。
 非常勤講義が終わった日は、何となく解放感がある。
 夕食後、山本悦子さんの『夜間中学へようこそ』を読んだ。私の好きな技巧派の作家なので、読み進むほど感動する。物語だけでなく、小説作法にもだ。工夫と苦労の跡が随所に見られる。共感で感動するのだ。とにかく素晴らしい作品である。
 結局、就寝までに読了した。

6月23日(金)「自分に腹を立て……の風さん」
 今日から執筆、と意気込んで書斎に向かったのはいいが、猛烈な疲労感が襲って来た。
 ちょっと頭に来たので、自らの肉体に負荷をかけることにした。
 予定より早くキャメロンで外出。店じまいが近いスーパーで買い物をし、GSで給油と自動洗車。
 帰宅して……昼食をやめてまた外出。JAのATMに寄ってから体育館へ。久しぶりの筋トレだ。ウィークデーなので、トレーニングルームは比較的空いていた。体が動かないかと思ったが、前回並みだった。
 帰宅したがランチはパス。そのまま裏の土地へ。電動草刈り機を小屋から出した。バッテリの充電はしてあるのですぐ開始。
 ワイフの教室の生徒が利用できるようにするのが最大の目的なので、刈り残しが周囲にあるが、駐車ゾーンはきれいになった。
 筋トレと草刈りでかいた汗を流しつつ風呂掃除……と思ったが、予定より早いのでそれはやめ、とりあえずシャワーのみ。
 外は明るいが、時刻的にはもう夕方だった(笑)。ワイフとコーヒータイム。「ムリしてるね」とワイフ。
 夕食後は映画を観てしまった。疲労のせい。やはりムリしたか。

6月24日(土)「もう後がない第2章・・・の風さん」
 朝からどんよりした天気だ。
 今日こそ執筆再開と思いながら、天気が悪いと、こちらの気分も盛り上がらない。
 明日から雨が続きそうなこともあり、また自分に腹を立てて、草刈りに出動した。バッテリは十分に充電してある。
 大汗をかかずに作業が終わったので、気分よく片付けを終えて、さあひと休み、と思ったら、ペコの調子が悪くなった。1階の3か所でたくさん吐いていた。水曜日の病院での点滴・注射の効果が切れたからだろう。これまでの知見から、こういうことがあると、ペコは一気に食欲をなくしてしまう。
 とりあえず、フローリングの水拭きと簡単ワックスがけをした。草刈りよりも汗をたくさんかいた。
 気分は低調だったが、執筆はもう後がない状態だった。
 何が何でも第2章を書き上げねばならない。
 夕食までに4分の3までたどり着いた。枝豆が出たので、ビールを少し飲み、たっぷり休んでから、最後の突撃態勢に入った。

6月25日(日)「第2章が完成・・・の風さん」
 昨夜は、最後の4分の1がけっこう大変だった。眠かったし(笑)。
 出来上がった原稿を保存し、シャワーを浴びて、夜が明けないうちに就寝した。
 で、今朝は9時半起床。眠い。
 朝食後、ワイフとペコを病院へ連れて行った。意外と空いていて、点滴・注射を打ってもらい、帰りにアクアに給油までして帰宅した。
 昼食後、はたしてダウン(実際は、寝室でしっかり昼寝)。
 夕方目覚めてコーヒータイムの後、そろそろと仕事に復帰。今回執筆した第2章のリファインに取り掛かった。順調に進んだ。
 夕食後も続きをやり、満足できるレベルになったので、出版社へ送付した。
 午前零時は回ったけれど、安心してバスタブに浸かった。そして、予定通り、風呂掃除をして就寝。

6月26日(月)「『円周率の謎を追う』は4刷で快走中・・・の風さん」
 早々と浴室の窓の改善工事に職人さんが来てくれた。ある部品を取り付けてもらったのだが、機能的にはあまり満足できるものではなかった。もっと工夫ができるはずだ。
 職人さんが帰った後、営業マンが来たので、トイレの問題点について相談した。水の出方にやはり問題がありそうだった。
 保健センターでPSA検査の予約をしてあったのでキャメロンで出かけた。行きに郵便物を投函。
 HOLEPを2008年3月に受けているが、外皮は残っている。その部分の検査である。血液のみでできるので、簡単だ。帰りにATMとドラッグストアに寄って用事もすませた。
 昨夜原稿を送付できたので、少し雑用も処理しておかなければならない。たまっていた名刺をスキャナーで読み込んで保管した。
 名古屋に住んでいる長女から、書店の課題図書コーナーの様子を、昨夜教えてもらった。小さな書店でもしっかり並べてあるそうで、あらためて課題図書の重みを感じた。さすが作家の娘だけあって、詳細にチェックしてくれ、既に『円周率の謎を追う』の4刷だったという。つまり、3刷は大方はけて、4刷の販売フェーズに突入しているようだ。ネットで検索すると、相変わらずAmazonでベストセラー1位と出ていたし、書店だけでなく、図書館のHPでもしっかり紹介されていた。
 次の作品に関して編集者と何度か電話で話をした。
 第2章まで書いたので、次は第3章である。自分的には今月末までにそこまでは完成させたい。いよいよ『怒濤逆巻くも』の舞台に入るので、新人物文庫の第1章を読み返した。この中の材料を使って、子ども向けに再構成するのだ。
 CPU(頭脳)がオーバーヒート気味になったので、今週の非常勤講義の準備をして就寝した。

6月27日(火)「雨が降らないなら・・・の風さん」
 ネットの雨雲レーダーを確認すると、かなり色の濃い雨雲のかたまりが、日本列島から距離をおいて南海上を西から東へ流れていく。今日は雨は降らないかもしれない、と思った。
 また今日も、体調がスッキリせず、自らに気合を入れるため、筋トレに出かけた。
 エアロバイクがやけに良い数値をたたきだした。
 帰宅して、昼食もパスして、すぐ草刈りに出動した。かなり丈が伸びているところでは、回転する部分に茎がはさまって、効率は低下する。とは言え、いくらか作業は進んだ。雨雲レーダー通り、雨が降らなくて助かった。
 シャワーを浴びて、コーヒータイム。
 やはり体を動かした後は、気分が良い。
 執筆再開。今日はとことんやるぞ、という感じだ。
 今日のペコは不調で、薬を飲ませようとしたが、なかなか飲んでくれない。
 そうこうしながら、午前零時を過ぎても、執筆を継続。
 午前3時前まで頑張ったが、思ったほどできなかった。

6月28日(水)「山形行きの覚悟を決めた・・・の風さん」
 9時半起床。こんなことはリタイヤした人でないとできないな。
 しかし、また週一のリハビリに行かねばならない。しかし、この1週間に2回筋トレに行けたので、それだけはPTに自慢(?)できる。何とか1年半のリハビリで終わりにしたい。
 田舎道を走って帰宅。
 午後少し昼寝……と思ったが、目が覚めたら午後3時を回っていた。こんなことはリタイヤした人でないとできないな(笑)。
 遅いランチ。
 夕方からペコを病院へ連れて行った。ここ数日、ステロイドの錠剤を飲ませることで苦労しているので、主治医に相談しなければならない。
 今日の病院は空いていて、とりあえずステロイド注射をしてもらった。
 帰宅してから、もうタイムリミットだと思い、8月の全国和算研究(山形)大会へ行くための、交通手段を確定させた。ペコの容体のこともあり、とんぼ返りが条件だった。結局、小牧空港と山形空港を往復するフライトを予約した。前後のアクセスもほぼ目途が立った。
 大きな懸案事項が一つ解決したので、再び執筆に取り掛かった。
 昨日に続いて、就寝が午前3時になってしまった。 

6月29日(木)「財布紛失事件・・・の風さん」
 ワイフを名古屋へ送るため、今日から6時半起床が当分続く。中でも今朝は、直接名古屋までアクアで荷物と一緒にワイフを送り届ける必要があった。
 名駅前に9時までに無事送り届け、すぐとんぼ返りした。往復共、有料道路と名古屋高速を使ってである。
 予想外に早く戻ることができたので、執筆の続きをすることができた。
 インスタントラーメンで昼食にしてすぐまた出発。今日は愛工大非常勤講義の日である。
 名鉄電車内で少し仮眠できたので、元気よく本山キャンパスに着いた。
 事務の女性と児童小説について雑談した後、講義へ。
 たくさん用意してあったので、すべてこなせないまま終了時刻がきたが、問題ない。今日から3週にわたってトヨタ生産方式の話をするのだ。3回の中で調整すればよい。
 家路についたあたりから、妙な胸騒ぎがしだした。今日は荷物が非常に多く、お気に入りのトートバッグは満杯状態だった。その中に財布を入れてあったはずなのだが、ないような気がしていた。すべてぶちまけないとわからないくらいぎっしりだったので、帰宅まで我慢することにした。
 帰りにJA2か所に寄って、冊子をゲットした。
 帰宅したら、ペコのうんちがあちこちに落ちていて、リビングでは大量に吐いた跡があった。
 それらをせっせと片付けたが、あまりにもフローリングが汚れていたので、急きょモップを取り出して水拭きをし、簡単ワックスがけもした。これで、大量に汗までかいてしまった。
 ペコは体調不良らしく、表情が冴えない。
 そのうち、鳴きながら歩き出したので、また吐くかもしれないと思って、紙を持ってついて歩いた。ところが、ペコのお腹がぐるぐる鳴っているのが聞こえた。お腹の調子も悪そうだ。
 と思っているうちに、キッチンで停止。そのまま下痢をしてしまった。続いて、大量に吐いた。
 ワックスがけをした直後だったので、フローリングが少しはじいてくれて、掃除は少し楽だった。
 全部出し切ったせいか、その後のペコは落ち着いた表情になった。
 ここで、私自身が落ち着いたところで、心配していた財布のことを思い出した。
 トートバッグをぶちまけて徹底的に探したが財布はなかった。今朝、ワイフを名古屋まで送った時にはあったのである。だとしたら、財布は持って行かなかったのか、と思い、心当たりをあちこち探したがどこにもなかった。
 講義のために出かけていた途中で紛失したに違いないと思った。もしかすると盗まれた。満杯のトートバッグは口が開いたままだから、横から手を入れれば、何でも抜き取ることは可能だった。
 とりあえず、財布の中のカード類を思い出し、それぞれ紛失・盗難連絡先をチェックして、次々に電話していった。
 4枚のクレジットカードの失効と再発行を依頼したところで、ワイフから帰宅メールがあった。
 駅まで迎えに行き、帰って来てから、ペコの状態を報告し、すべて終わった後、やっと自分のヘマの話をした。ボケを自覚しているので、結論はすぐ自分のボケかヘマである。
(中略)
 財布はリビングのテーブルの上で発見した。どうしてそこに置いたのか、まったく思い出せなかった。もう考えるのも疲れ、大事にしているペコが神さまに頼んで、四次元の世界から取り戻してくれた。そう考えることにした。ペコちゃん、ありがとう。
 ちなみに、カード会社すべてから「警察へは届けましたか」と聞かれ「この後、届けます」と答えたが、届ける気はなかった。どうせ盗難届を出せ、と言われるに決まっている。盗難届の手続きが、どれだけ不愉快な思いをするかは既に経験済みなので、もう二度とゴメンである。

6月30日(金)「2つの現実と直面・・・の風さん」
 今朝も6時半起床。駅までワイフを送った後、ようやく執筆の続きを再開した。
 10時にリフォーム会社がリクシルと水道屋を連れてくる約束なので、リビングで到着を待った。
 1時間くらいで問題の原因調査と対策が完了とすると思ったのだが、なかなか終わらない。
 私は、ダイニングで応募ハガキを書いたり、雑務を淡々とこなした。2匹の猫は最近来客に慣れてしまったので、途中で、職人さんたちの様子を見に行ったりしていた。
 とうとう12時を回って、12時半にようやく終わった。しかし、結果を聞くと、問題は非常に厄介だということが分かった。私はその場で意思決定できなかった。
 せっかくなのでコーヒーを淹れて飲んでもらい、少し雑談してから帰ってもらった。
 私自身も、ちょっと休憩時間をはさまないと執筆に戻れそうもなかった。
 夕方からやっと執筆を再開したが、何となく元気が出なかった。
 そうしている間に、編集者から電話やメールがあって、その対応をしているうちに、もう一つの現実と向き合うことになり、気合が入って来た。
 今日も名古屋からワイフが戻ってきたので、駅まで迎えに行った。
 夕食後も執筆の続きをやったが、明朝も早起きしなければならず、早々にシャワーを浴びて寝た。 

2017年7月はここ

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